天気予報に用いられる数値予報のロジックが競馬予想のロジックに援用できると考える方は非常に少ないようですね。競馬は基本的にエンターテイメントであり、100人いれば100通りの予想が正当化される世界です。即ち、ギャンブルとしての透明性、公平性が損なわれない限り何でもありです。競馬を仕組む事は違法ですが、競馬が仕組まれていると考え予想を行うのは何の問題もありません。先に書きましたように何でも有りのエンターテイメント、即ち娯楽であるからです。
一方天気予報はどうでしょうか、確かに最近の天気予報番組はエンターテイメント化されていますが、テレビ会社が100社あれば100通りの天気予報が正当化されている訳では有りません。明日の天気が雲一つ無い晴天から台風並の暴風雨まで認められてしまったら、大変な事になります。ある場所の明日のある時点での天気予報は一通りである事が、求められる最終的な予報となるのは明らかです。この観点から気象庁が国民の税金を使い高額なスーパーコンピュータを購入して使用できる所以である訳です。
スーパーコンピュータの予測は、まず外れない事が要請される訳ですが、外れるのを恐れて競馬で言うところの展開予想の様に何通りの予報を出されても困りますね。ただ、確率予報と言うのも曲者です。降水確率30%を考えてみると残りの70%は何かとなりが、多分曇りか晴れで35%、35%とすれば、明日の天気は晴れか曇りか雨となり、天気に晴・曇・雨しか分類が無ければ必ず的中している事になります。何か変ですね、この場合、正確な予報は”明日の天気は分かりません”ですね。でも、こんな予報を何度も出したら天気予報にスーパーコンピュータを使用する事の正当性が疑われてしまいます。だから確率なのかも知れません。
ところで、天気と競馬には共通点が有ります。競馬の決着は基本的(同着は有りますが写真判定の分解能の限界から生じているだけです)には一通りしかありません。一方、天気ですが、ある地点のある時点においての天気は当然の事ですが一通りです。即ち、起こり得る事は沢山有りますが、実際に起こる事は一通りでしか無い訳です。即ち、一通りである事が競馬と天気の共通点です。
ここから、最初に書きました事とは違った展開となります。競馬はエンターテイメント、それもギャンブルと言う人間であれば多分に持ち合わせているであろう射幸心を刺激する強力な娯楽である訳ですが、しかしながら、競馬はエンターテイメントである前に天気と同じく自然現象である事も事実です。自然現象の自然とは何かですが、常識的には自然とは人為ではない物、人が係わった事は自然でないと言うのが自然な考え方です。しかし、人も自然の一部であり、人が馬を使う競馬も広く考えれば自然現象と言えなくはないでしょうか。
競馬も自然現象であれば、天気と同じく科学的分析対象となり、数値解析の対象となり得る訳です。即ち、理論的にアプローチできる100人が居れば、その予想は一通りに収束してくる訳です。