記号の能力  コーナー通過順位

個々の競走馬のラップタイム分析は不可能としましたが、終始逃げて勝った馬のラップタイム分析は可能ではないかと思われる方もいるかも知れません。しかし、これはVTR等他の手段で確認できただけ有り、提供データのみでは確認できません。確かにコーナー通過順位が別に提供データとしてありますので、これと合せれば、少なくとも、逃げた馬は、例えば、①①①となっていますので、確認できるではないかとの見方です。しかし、厳密には、ラップタイム計測とコーナー通過順位はシンクロしていません。即ち、ハロンタイム計測時に一位で通過していたかは保証していない訳です。

しかしながら、競走馬は時速にすれば60Km/hr以上、秒速で言えば毎秒16m前後で高速で動いています。従って、コーナーとハロンタイム計測地点が近い場合、ハロン通過順位(馬番・馬名不明)とコーナー通過順位(馬番・馬名特定)は略一致すると考えて90%以上正しいと考えられます。ここまでくれば、思いつくはずです、個々の馬の前半3Fタイムの推定方法がです。

正確には、各競馬場の各距離のスタート位置とコーナーまでの距離を調べないといけませんが、レースの前半3Fタイム計測地点とコーナーとの関係は容易く分ると思います。そこで、乱暴ですが、通過順位を1馬身と見なして、例えば、対応するコーナーの通過順位6位で、レースの前半3Fタイムが36.0秒の場合、6馬身1秒と言われていますので、6位の馬の固有の前半3Fタイムは37.0秒と推定できます。さらに、最近では各コーナー順位を()集団、=大差、-小差、*先頭などの記号で表されており、もう少し精度の良い個々の馬の前半3Fタイムが得られるものと考えています。

おな、1200m未満の距離(1150m)、前二桁が奇数の距離(1300mなど)では前半2.75Fになったり2.5Fになったりする筈ですが、実際そのような表記がされているでしょうか。

記号の能力 ラップタイム考

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個々の競走馬のテン、即ちスタートして600m地点まで掛かったタイム(前半3Fタイム)は存在しないとしましたが、レース単位では存在(提供)しています。それはハロンタイムあるいはラップタイムと呼ばれる物です。ただ、問題なのはタイム構造が非常にトリッキーに出来ている事です。

上のグラフは、ハロン(200m)タイムが12.0秒の仮想の芝1600mのラップタイムモデルです。具体的には12.0-12.0-12.0-12.0-12.0-12.0-12.0-12.0となっており、12.0秒が8回繰り返す構造にしてあります。また、横棒の中の数字は個々の馬が12秒間に走った距離(m)を示しています。もちろん架空の数字ですが、個々の馬のラップがレースのラップと全く一致していないのが見て取れるようにしています。

レースとしてはラップは12.0秒と非常に平坦ですが、勝った事にしたA馬は最後にすごい足を使った事(9.1秒は在りえませんが)にしていますが、8ハロン目以外は非常に遅いラップタイム(平均12.4秒)であった事になります。この様にレースのラップ分析と勝った馬のラップ分析は全く違ったものになりますが、現行の提供データでは勝った馬(個々の馬)のラップ分析は不可能です。不可能な理由は提供されたハロンあるいはラップタイムは200m毎に計測した馬番(馬名)が特定されない1位通過馬のタイムしか与えていないからです。

グラフに示した仮想ラップタイムモデルでは200m地点ではH馬が1位通過(12.0秒)、400m地点ではG馬(24.0秒)が、以下600mF馬(36.0秒-レースの前半3Fタイム)、800mE馬(48.0秒)、1000mD馬(1分0.0秒-レースの後半3Fタイムの起点)、1200mC馬(1分12.0秒)、1400mB馬(1分24.0秒)、ゴールの1600m地点ではA馬が96秒(1分36.0秒)で1位通過した事にしています。ゴール地点では馬番(馬名)が特定されますが、それ以外の地点では馬番が特定されないデータが提供されている訳です。このモデルではレースの前半3FタイムはF馬の通過タイムになり、1000mD馬の通過タイムとA馬のゴールタイムとの差36.0秒がレースの後半3Fタイム(上がり)なるわけですが、提供データにはD馬またはF馬が具体的に馬番何番の馬かは記されていません。因みにA馬の固有の後半3Fタイム(上がり)は33.9秒となります。

機械仕掛けの馬を走らせるな!

競馬を数的世界でハンドリングしよう(取り扱おう)としている者が言うのも変ですが、私がここまで興味を維持できたのは、競走馬が生き物すなわち生物学的存在であるからです。もし、機械仕掛けの馬(同時に機械仕掛けの人間)が走る事になれば、興味を無くすでしょう。理由は簡単です。理論的確率が同一になってしまう事、確率が人に操作されてしまうからです。

「予想が出来る」事に危機感を感じるのは、競走馬を、騎手を「博打の駒」と考えてしまうことが、「機械仕掛けの馬」を受け入れてしまう事態になるのではと言う事です。現に米国では「機械仕掛けの馬」そのものではないですが、競馬の未来を「スロットマシーン」に託してしまう動きも出ています。競走馬を生物学的存在であるとした視点からの予想理論は、米国にも日本にも残念ながら存在していませんでした。

私がしようとしている事は競馬を生物学的視点で、人間を認知科学的視点で捕らえようとする事です。また、この事から物語りも夢もロマンも発生し得るとも考えています。