血統理論と血液型による性格判断(2)

前書きが長くなりましたが、所謂血統理論は前述の血液型による性格判定と同じメカニズムでは無いかと言う事です。競走馬の能力は、例えば瞬発力があるとか、スタミナ型とか表現されますが、よく考えて見ると、能力の根源は何かとなります。馬に限らず人間にも当てはまりますが、根源は骨格の大きさ、形、質あるいは筋肉の量、質、さらに心肺機能、赤血球の数、酸素運搬能力等‥、数え上げたら切がありませんが、これらが優位にある事が基本となります。ところで競馬は血統のスポーツと考える向きがありますが、遺伝子レベルで考えると、時代に求められる良好な形質を発現できる遺伝子プールを形成して維持する事です。その上で必要な目印として血統が用いられてきたとも言えます。また、血統書上に特別な意味を持つ種牡馬は良好な能力の発現環境と、その元となった良好な遺伝子プールを偶然併せ持った幸運な馬という事になります。ただ、ここで注意しなければならないのは、血統書上著名な馬の能力の発現は良好な遺伝子のプールによると言うことは、能力の根源に示したような多数の要因,因子を支配する多数の遺伝子が関与して良好な表現型を形成した事を意味しており、単一な遺伝子に能力(瞬発力等)が乗って遺伝してきたのでは無い事です。さらに、現役の競走馬の能力をその馬の4、5代以上前の著名な種牡馬を冠した○○系の特徴を反映している等の表現があります。確かに、例えば4代前であれば、血量という表現を使えば1/16(6.25%)の遺伝子を継承していますし、途中でインブリードがあればさらに高い率の遺伝子を継承している事になります。しかしながら前述したように能力は多数の遺伝子が関与し、メンデルの法則(優性劣性)を掻い潜り、さらに環境要因が整って発現する訳ですので、4代前の血統図上の種牡馬が発現した能力の元となる多数の遺伝子が4代を経て同時に受け継がれる可能性は限りなくゼロに近くなります。以上のように一つの能力が一つの遺伝子によって決定してしまう事は有り得えませんし、これを前提とした血統理論は正しくないと言えます。

血統理論と血液型による性格判断(1)

血液型による性格判定の知識はは人間関係を円滑に作用させる常識的な教養の一部として特に若い人たちには考えられているのではと感じられる昨今です。しかしながら血液型を少し学問的に突き詰めてみると、血液型の判定は本来戦争で負傷あるいは重い病気で血液を大量に失った患者の救命のために他人の血液を輸血してその一命を助ける目的で始まったものです。ただ、闇雲に他人の血液を輸血すれば良い物ではなく、現代でも新聞に血液型を間違えて輸血した事件が報道されています。従って当時は輸血事故は多かったと思われます。それでも成功する場合もあるのですから輸血には相性が存在するとの考えに達する容易です。二十世紀初頭にはABOの血液型の理論が発表され、近年では血液型(ABO)を決める遺伝子が第九染色体に存在し塩基配列も同定されています。即ち、一つの血液型(ABO)は一つの遺伝子が決めている訳です。一方性格は血液型の様に物(赤血球の表面構造)として同定できません。性格は分類学の一種で、人を特徴的な性向をいくつか定義して3,4種類の性格型にグループ分けするものです。これを遺伝子レベルで考えれば多数の遺伝子が関与している事になります。即ち、一つの性格型は多数の遺伝子が関係しており、且つ環境要因と複雑に絡み合って決まると言えます。しかし、特徴的な性向(怖がり、大胆)の特定すれば、遺伝子レベルでも解明は進んでいます。ただし、血液型(ABO)とは全く違う位置であり、塩基配列の有り様も異なります。結論としては一つの性格型が一つの遺伝子によって決定してしまう事は有り得ない事になります。余談ですが、血液型による性格判定が錯誤によって世間で受け入れられてしまう過程については認知学、心理学で研究対象の一つになっているようです。