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競馬は予測可能なギャンブルである(2)

ところで、ギャンブルは必然性と偶然性の混合比である程度分類できます。偶然性が100%ないし100%に近いものは宝くじ、ロトなどですが、競馬はこの混合比のバランスが良いのではと感じています。また、ギャンブルを論じる場合、必ず引き合いに出されるのが「大数の法則」、「効率的市場仮説」あるいは「カオス理論」等で、必勝法が存在しない理由にされる事が多いと思います。しかし、これら法則、仮説、理論は限界的な状況あるいは事象の平衡状態で生じるもので、偶然性が100%であれば起こりえますが、必然性が高い場合にはなかなか成立しないのではと考えます。例えば、効率的市場仮説は真のインサイダー情報あれば破綻しますし、逆に偽のインサイダー情報が真であるように流されれば同じく破綻します。いずれにしても前二者は法律違反であり仮説の前提条件には入れないと言われればそれまですが、現実はどうでしょうか。最後に、私見ですが結論的には競馬は偶然性と必然性のバランスが良いので、予測技術に差があれば必勝法は存在し得ると考えています。(競馬はまだ予想法の世界であり予測技術には到達していないと感じています。)

競馬は予測可能なギャンブルである(1)

ギャンブルは理論確率が同等な事象を利用して成立しています。例えばサイコロ賭博は各目の出目の理論確率が6分の一で同等である前提としていますし、宝くじの当選番号を決める弓矢は完全に的の各番号にランダムに当たるように調整されています。また、ナンバースに用いる球体は表面に傷がないこと確認して、さらに全ての球体が同じように転がる事を実際に確かめていると聞いています。ところで、競馬は残念な事に馬が生き物であること騎手の技量に厳然と差が存在するため等によりギャンブルの対象となる馬番の理論確率(勝率)を完全に同一にする事は不可能となります。もちろんギャンブルの対象としての事象であることを保証するために能力の近い馬をグループ化したり、能力の高い馬に鉛の板を持たせたりして(実際には騎手が鉛の板を装着するのですが)レースを行いランダムネス(無作為性)を演出しています。しかしながら、完全に理論確率を同一にすることは現実問題として出来ない事は容易に想像できます。従って逆に同一理論確率を実現できない要因を探り当てれば競馬の必勝法が見えてくる筈です。もっとも全ての競馬が雨で不良馬場で行われるとか場合の確率(5連単など)が極端に低くなれば、偶然性の占める割合が大きくなり、競馬も限りなく宝くじ化され予想行為は無意味になるでしょう。

血統理論と血液型による性格判断(3)

馬の能力とか人の性格など曖昧なものです。人よって定義が違って来ますので立場を異とする者同士では会話は成立しそうもありません。さらに遺伝と言う事象が加われば、もはやお手上げ状態となりそうです。しかしながら普段の実体験として親、兄弟、姉妹の顔形、能力、性格が似ている感覚はあると思います。似ていない場合でも他人の空似よりも多いと言えます。これは予想対象となる競走馬の形質並びに能力に親馬の形質、能力が大きな影響力を与え、また兄弟姉妹馬の形質、能力に関連があるとの思い至るのは不自然ではありません。ただ、分析方法をどうするかが問題です。少し話が横道にそれますが、近年、ヒトゲノムが解読される等、遺伝子に関する知見は飛躍的に増えています。また、ゲノム創薬、アンチセンス薬等、莫大な利益が期待できる市場が立ち上がりつつあります。これが遺伝学(分子遺伝学)の光とすれば、陰というか縁の下の力持ちみたいな遺伝学が有ります。統計遺伝学(集団遺伝学)と言うものです。遺伝は遺伝子が親から子へ伝わる現象であって形質、能力が直接遺伝するものでは有りません。しかし観察できるのは表現型である形質あるいは能力となります。しかも観察できる形質、能力は遺伝子と環境要因との複雑な関係を伴っています。従って遺伝現象の解析には統計学が必須となります。またその統計学手法は遺伝子によるものと環境要因(騎手、生産牧場、調教師、距離等)によるものを分離する必要があります。実験計画が可能な遺伝解析では要因配置モデルなどが可能ですが、競馬では不可能ですので、数量化1類を用い、表現形としての観測対象を速度としました。詳細な結果は別項に立てますが、非常に興味深いものです。また、近年、分子遺伝学の分野でDNA多型の存在が確認され、それを応用してQTL(Quantitative Trait Locus-量的遺伝子座)解析が可能となり、表現形と遺伝子型の対応が取れる時代になりつつあるのも興味を引きます。